朝焼けがきれいな話から夕焼けの話になり最後は歌の話になる
こんにちはこんばんは。
わさびです。
今日はタイトルも長め、内容も長めでお送りします。
昨日は学校の用事で始発で遠方までお出かけ。
だんだん冬が近づいてくるのもあって、朝起きるとまだ真っ暗。
そして寒いのなんの。
決死の思いで布団から出た。
寒い寒い。これからもっと寒くなるんだね。
準備を終えて家を出ると、少しずつ空が明るくなっていた。
iPhoneの内蔵カメラで撮影したもの。
加工なしよこれ。
きれいすぎか。
素敵な朝焼けだった。
この前、始発で帰ってきた時も朝焼けがすんごくきれいで。
早起きの特権だと思った。
きれいな朝焼けを見るために早起きも悪くない。
(実践しようと思っても絶対無理だけどね)
朝焼けといえば、ちょっと夕焼けの話をしたい。
自分の中で夕焼けといえば、BUMPの「真っ赤な空を見ただろうか」が真っ先に思い浮かぶんだけど、
この歌が良すぎる。
ふたりがひとつだったなら 同じ鞄を背負えただろう
ふたりがひとつだったなら 別れの日など来ないだろう
多分ね、これ多分の話なんだけど、
勝手な自分の解釈で必ずこれが正解なわけじゃないから、へぇ〜ぐらいで聞いてね。
この曲聴いてると、
藤くんは、大切な人とは心がひとつであればいいのになぁって思ったんだと思うの。
一番最初の歌詞がね、
溜め息の訳を聞いてみても 自分のじゃないから分からない
なんだけど、きっと大切な人が悩んだり苦しんでるのを分かち合いたいって思っても出来ないもどかしさを感じたんだと思うの。
だから、あぁ、心がひとつだったらなぁ、体がひとつだったらなぁって思ったんだと思う。
そしたら痛みも苦しみも全部共有できるのにって。
それで、一番最初に引用で出した歌詞ですよ。
ひとつだったら別れの日なんて来ないのよ。
鞄だってどんなに重いものだって一緒に背負えるのにって。
でもねでもね、最後の方の歌詞で
ひとりがふたつだったから 見られる怖さが生まれたよ
ひとりがふたつだったから 見つめる強さも生まれるよ
って歌ってるの。
2つだから乗り越えられたり、強くなれる時がある、って。
そして極め付けのこの歌詞。
ふたりがひとつだったなら 出会う日など来なかっただろう
そうなの。
ふたりがもともとひとつだったら、当たり前だけど出会う日なんて来ないんだよね。
この歌詞の部分をな、、、ライブでは
「僕らがひとつだったなら 出会う日など来なかっただろう」
って歌ってて、ふぉ〜〜という気持ちになった。
別れの日が来る寂しさや悲しさよりも、大切な人と出会えた時の感動や嬉しさ、そして愛おしさを忘れたくないんだろうなぁって思った。
そんなん当たり前やろって思う人もいるかもなんだけど、この曲を聴いて、歌詞を追いながら聴いた時、なんだか心がじゅわ〜ってなったの。
あったかい気持ちと言われればそうかもしれないし、納得の気持ちなのかも分からないんだけど、すごく良い気持ちになったの覚えてる。
この曲、今回のツアーでやった曲なんだけど、まさかライブで聴けるとは思ってなくて本当に嬉しかった。
そして、中盤のこの歌詞。
いろんな世界を覗く度に いろんな事が恥ずかしくなった
子供のままじゃ みっともないからと爪先で立つ 本当のガキだ
夕焼け空 きれいだと思う心を どうか殺さないで
そんな心 馬鹿正直に 話すことを馬鹿にしないで
きれいなものをきれいだねってわざわざ口に出すことって、
年齢を重ねていくごとに忘れてしまうものなんだと思った。
確かに小さい頃って、
キラキラしてるビーズとか、色とりどりの野菜とか見て「きれい!かわいい!」って言ってたような気がする。
いつの日か、そういう素直な気持ちを言葉にすることを忘れてしまったり、恥ずかしくなって言えなかったり、、、
でもいつまでもこどものままでいいんだよ。
馬鹿正直でいいんだよって言ってくれてる気がした。
相田みつをさんの詩に
「うつくしいものをうつくしいと思える あなたの心がうつくしい」
っていうのがあるんだけど、きれいなものとか美しいものを、そのままの心で純粋に思えることって良いことなんだなぁと思った。
自分なりの解釈だから、こういう考えもあるんだなという気持ちで見ていただければ嬉しい。
人生で誰もが見たことのある夕焼け。
そんな景色を思い出しながら聴いて欲しい曲です。
リンク貼っときます。
朝焼けの話から歌詞解説になってしまった。
もともとこんな歌詞を深読みするタイプではないんだけど、ちょっと書き出したらこんなに長くなっちゃった。
長々と最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは今日はこの辺で。
またお会いしましょう。